未来は危険だと決めているから不安や恐れが増す行動をとってしまう

未来は危険だと決めているから不安や恐れが増す行動をとってしまう 不完全な人間のつれづれ日記
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行動する時にどんな前提があるのかを考える

昨日の気づき(「○○がない」を強める行動を取っていたという衝撃の気づき)のおかげで、自分が前提(決めつけ)で行動しているのかがわかりました。

未来は危険だらけで、どうなるかわからない。
危機を回避するために、あれもやらなくてはいけないし、これもやらなくてはいけない。
最先端の技術や情報に触れていないと置いていかれる。
時代について行くために、セミナーを受けたりして乗り越えられる自分を作り上げる必要がある。

だいたい、こんな考えがありました。

なんで、未来を悪いものだと勝手に決めているの?

未来は悪くなると(無意識、自動反応レベルで)考えているから、現実を斜めに構えた状態でしか見られないんですよね。

参加しようかなと思ったオンラインのセミナーがあったんですけど。

どんな動機で参加するつもりだったのか聞かれると「未来の危機を回避するため」だったんですよね。

そのセミナーに参加することで、未来に対する悪い予感を増幅させそうだったので、参加を見送ることにしました。

不安をあおるような情報ばかりを追いかけるから、自分が考えた通りに不安にあおられる現実がつくられていくんです。

自分が信じたものが現実を作っている

サピエンス全史を読んで、共同幻想というものを知って。
国も世界も、資本主義もみんな幻想(勝手にそうだと信じ込んでいるだけ)だと知った時。

世の中の常識なんて、あってないようなものだと気づきました。

世界全体で信じているものがあるからこそ、今は自分たちが信じている世界のルールの中で生きているけれども。

もうそろそろ、世界全体で信じ込んでいるものの外に出てもいいのではないかなと。

自分の中に取り入れる情報を変えることにした

もう、不安や恐れを回避するための行動を取るのをやめました。

これをやらないと(知っていないと)自分はダメだという幻想から抜け出すことにしました。

そう決めると、それだけでワクワクしてくるんです。

世の中を都合よく解釈するのも生き方としてはアリなんだと思えてきます。

「なにをしても大丈夫なんだ」という安心感はどこで得られる?

過去を振り返ってみれば、私はいつも安心を求めていました。

ここにいれば安心。
この仕事をしていれば安心。

病名がつけば安心。
このコミュニティに所属していれば安心。
この技術を持っていれば安心。
この資格があれば安心。

こうして羅列してみると、外に安心を求めていました。

いまハッキリとわかるのは、安心は自分で作りだす(信じる)ものであって、外に求めるものではないということです。

自分が安心だと思えたら、もうそれで十分なんですよね。

好きなことをやるのが回避行動になっていた

(悪い意味で)未来いつなにが起こるかわからないから、やっておこうという動機でいろんなことをやっていました。

一体、どれだけ未来は悪いと信じ込んでいるのやら。

私の過去の事例

例えば、これまでの仕事で私は「あなたはもっと仕事ができるんだからやりなさい!」と言われることが多かったです。

なぜ「やれるのにやらないんだ!」と責められるかといえば。
私が勝手にいろんなネガティブな前提で行動しつづけた結果なんですよね。

「自分はできない人間だから、できる人間にならなければいけない。だからやる」

そんな動機で行動を続けているうちに、「できる人間であること」が真実になってしまった。

これからどうしていく?

「できる人間かどうか」なんて、今となってはどうでもいいことです。

どれだけ自分の心に素直に生きられるか。

自分にとってテンションの上がるものを選択していきます。

質問などはコメント欄から入力することもできます。